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その四.その前夜  

 2008年正月、私は昨年末から急に訊かれることが多くなった「ところで緑提灯って今何軒あるの?」と言う問いかけに正直辟易としていた。増えていることは確かだし、注目を頂くのは有り難いことだが、何せ私は左党の人である。呑んで朝になれば昨日は最早遠い過去の世界だ。農業関係の新聞に取り上げられ、丸山氏の親衛隊を標榜する全国の篤農家集団「新形質米普及会」の猛者が丸山氏から相当の数の提灯を「俺に任せろ!」の一言でそれのぞれの地域に持ち帰ったって話を聞いたり、「中部地方発の提灯が名古屋に灯った」、「東北に灯った」、「九州にも・・・」と言う嬉しい便りが毎日のように耳に入ってくる。しかし、何度も言うが、私は左党の人なのだ。「昨日何があったって?」、「そんな昔のことは知りゃしないさ」で生きている。お目出度いことなんだから、大体で良いじゃないか。そんなことをブツブツ言いながら、寝正月ながらも過去の記録整理に追われていた。もちろん、枕元には昨夜の新年カウントダウンの残骸の徳利が転がっている。もう何年も、見飽きた光景だ。「何が悲しくって正月の元旦にExcelなんぞを弄らにゃならんのか・・・・」、ノート型PCの横には、無造作に摘まれたメールの印刷、手書きメモの切れ端などの束が横たわる。私と丸山氏が蓄えた緑提灯関係の情報を合算して、今一体幾つの緑提灯が日本に存在するのかを遅蒔きながら集計していたのだ。それまでの非公式の照会には、「大体百くらいは」などと適当に答えていたのだが、「どこかの新聞が近々比較的大見出しで記事になるらしい」と言うことで、正月早々まさに「怠け者の節句働き」そのものの仕儀に及んでいると言う訳だ。結局、各種の情報をかき集めて存在を確認できたものが60軒程度、その他に所在不明(つまり「俺に任せろ」で「何処か」に行ったもの)を含めると大凡100程度と言うことが分かった。飲兵衛が始めた運動らしい「緩(ゆる)さ」と「温(ぬる)さ」が身上だと自らも宣言していた緑提灯運動であるが、幾らなんでも「これではいけない」と言う、水島氏の号令のもと、緑提灯店のリストはデータベース化された。それによると、公式には2008年2月7日に100軒を突破が確認された。

 ところで、一口に100軒の緑提灯店と言うが、そこには一軒当たり少なくとも一張、計100張りの緑提灯が必要になることになる。前出の浅草の提灯を思い出してみれば、提灯の製作だって決して安くはないのだ。100張となると金額も大枚になる。「何処かに行った」、「分からない」では済むはずがない。ところが、世の中には太っ腹な人がいるものである。「良いよ良いよ」で済ましてしまった。それどころか、「100軒達成したら、応援隊員で盛大にお祝いしましょう。それまでは浄財で」で済んでいたのだ。私も、極初期にほんのちょっぴりその浄財をお出ししたが、100張分とは桁が違う。「良いのかな・・・」と思いながら「盛大にお祝い」が一日も早くなるよう「フットワーク」でお返ししよう?!等という訳の分からない理屈で自分を納得させていた。

 しかし、この「盛大にお祝い」は遂に実施されることがなかった。そのとき、我々全員がそんな状況になかったのだ。

 

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