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その二.進化はゆっくりとそして劇的に

 生命はこの忍従期にこそ、ゆっくりと自らの形を変えながら環境に適応する力を養う。実は、現在の緑提灯の姿もこの時期に確立された。前述したように、パイオニア(零号機)として登場した緑提灯スタイルは世情の荒波の中で消失し、新たに量産体制に適した「形」の模索が必要となった。既に提灯と我々の日常生活の接点が希薄になりつつある現在、提灯の製作をどこに依頼するかでひと騒動があった。私が当時、唯一お付き合いがあった提灯店が浅草の浅草寺裏の商店街にあり、その筋では有名店でもあったため、早速「緑提灯」の製作のための相談に出掛けた。以前、やはり飲兵衛仲間が別荘の玄関に掛ける風流な絵柄提灯を依頼したことがあり、親切に相談にのってもらえたからだ。お店は、間口二間余り、奥行きが五間見当のお店には、浅草寺の仲店用の提灯など、大小様々な提灯がところ狭しと掛けられており、奥まった作業場でご主人が提灯に絵付けを施しているところだった。

約三年ぶりに訪れた私をご主人も、「あー以前もご注文を頂きましたね」と温かく迎えて頂き、「今回はどういったご用件で?」とご主人。「実は・・・今回は緑色の提灯を・・・」と私。「はぁー?」とご主人。概ね緑提灯の話題を持ち出す際の定番の受け応えだ。「食糧自給率向上のために緑の提灯をお店に掲げる運動を展開中でして」とご説明しても、「そんな運動聞いたことないし・・・」と訝し顔しきりである。ようやく、「そう言う酔狂なひともいるのだ」とご理解いただいて、持参したデザイン案(図4)を製作した場合の費用と製作時間に話題が移って絶句することになる。製作費五〜六万円、製作期間二ヶ月と来た。仰天する私に、ご主人は、「こう言った状態でないと食っていけないもので(笑)」と晴々とした顔である。そうかもしれない。気軽に「ちょっと作って」気分で来た自分を恥じると共に、緑提灯運動の前途に暗雲を立ちこめるのを感じたことを今でも覚えている。しかし、幾ら何でも数万円を越える出費をお店の人にお願いできるだろうか?ボランティアで提灯を贈る(当初は気軽にそう考えていた)など夢のまた夢ではないか・・・等々、浅草からの帰り道、思いは堂々巡りを繰り返していた。

図4 注文のための緑提灯ラフデザイン案 2006年4月

 その時、ふっと脳裏に浮かんだのが、三十数年前、中学校登下校風景の記憶の片隅にあった軒先に吊された赤や白、大きさも形も色々な提灯だった。私が通った和歌山市立伏虎中学校の同級生のお店の軒先に真新しい提灯が幾つもぶら下がっていた。そうだ、だめでもともとでお願いしてみよう。その足で、デザイン案を握ったまま向かったのが、現在の緑提灯製作を一手に引き受けていただいている「嶋和洋傘店」、後で知ったことだが、江戸時代から続く老舗のお店だった。おそらく悲壮な顔で飛び込んだ私をご主人(私の同級生のお父さん:図5)が親切に応対して頂き、字面の配置、デザイン(白抜きよりも文字が黒字で周囲を白にして浮き立たせる)、提灯の地色として緑色は殆ど過去に使われたことが無く、刷毛で塗ることになるが、緑色は中に灯を入れた時に刷毛目が出やすい、など丁寧に相談に乗っていただいた。何より有り難かったのが、製作費と納期が浅草よりも破格にお求めやすかったことだ。この時ばかりは嶋さんが仏様に見えたものだ。その後も、私たちの無理難題にも機敏に答えて頂いた。この時のご縁が、今の緑提灯の大躍進を下支えしていることは間違えない。また、提灯のデザインで、右に「緑提灯 ★☆☆☆☆」として、二つ星以上はお店の方に塗っていただく方式、左に大きく「地場産品応援の店」のスタイルも、嶋さんとの遣り取りの中で自然と固まったものだ。「地場産品応援の店」の表現も、国産から町村特産までを包含させる地理的広がりと意味的柔軟性を狙って決められた。緑提灯運動がまさに袖擦り合う縁にも助けられ、今ここにあることを示すエピソードの一つである(図6)。

図5.嶋和洋傘店のご主人

図6.2006年8月 製作途中の提灯、この後、地色の緑が刷毛で手塗りされる

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